2021年大河ドラマ「青天を衝け」のロケ地、気になりませんか?主人公、「渋沢栄一」を演じるのは「吉沢亮」さんに決まるなど、どんどん情報が解禁してきていますよね!
渋沢栄一は、新一万円札の顔として一躍有名になりました!出生は埼玉県深谷市。「青天を衝け」のロケ地も埼玉県近辺で行われているという情報があります。
目次
【青天を衝け】NHK大河ドラマのロケ地はどこ?
今回は、実際ロケが行われた場所と、予想されるロケ地を調べてみました!最後にはちょっとネタバレもありますよ!
「青天を衝け」ロケ地・埼玉県嵐山町
渋沢栄一は、埼玉県深谷市の血洗島諏訪神社(ちあらいじますわじんじゃ)の獅子舞の愛好家でした。その神社に見立てて、渋沢の故郷・深谷市のお隣、嵐山町の『鎌形八幡神社』で、9月4日・5日と2日間に分けて撮影が行われました。
引用:嵐山町公式ページ
鎌形八幡神社は創建が奈良時代末~平安時代始めごろに坂上田村麻呂によって建てられたと伝わります。その後は源氏の氏神として大切にされました。神仏習合の流れもあり、中世には修験の地としても繁栄しました。本殿は拝殿に覆われており、御神体は僧形八幡を祀ります。
ちょっと話が反れてしまいましたね。元に戻します。
撮影の1日目は獅子舞のシーン。
2日目は、渋沢の幼馴染でもある、いとこの「喜作」、のちの妻となる「千代」、そして渋沢栄一、3人の運命が大きく動き始めるシーンの撮影 が行われたとのことです。
喜作を演じるのは、高良健吾さん。千代を演じるのは、橋本愛さんです。
獅子舞のシーンでは今もなお、獅子舞を継承している血洗島保存会のかたや、嵐山町の方々もエキストラとして参加しました。
※渋沢栄一ゆかりの深谷市内の場所という設定で撮影されましたが、鎌形八幡神社は渋沢栄一と直接ゆかりのある神社ではありません。
「青天を衝け」ロケ地・栃木県
序盤のロケ地は埼玉県内がメインですが、実は栃木県でも撮影が行われていました。撮影地は栃木県那須塩原市にある「千本松牧場」でした。
茨城に所縁のある、徳川斉昭公の追鳥狩(おいとりがり:幕末、水戸藩の大規模な軍事訓練)のシーンに使われるのが、栃木県の千本松牧場です。大規模とあるので、壮大な土地としてはふさわしいですね!
撮影は栃木県でしたがシーンとしては茨城に所縁のある徳川斉昭主宰の追鳥狩の参加者ということで、男性40~50名。女性20名ほどエキストラとして募集されたんですね。
「青天を衝け」ロケ地・群馬
現時点では、群馬県でのロケ情報はないのですが。。。渋沢栄一ゆかりの地があり、もしかしたら、ロケ地として使われる可能性は大きいかも!?
安中市にある磯部温泉に渋沢が滞在した記録があります。
今は昭和の雰囲気が残る温泉街だとか。明治に作られた「日本鉱泉誌」という明治の鉱泉リスト。
その中で、おそらく磯部温泉だと思われる鉱泉の成分濃度が、有名な温泉を抑え1位に輝いています。渋沢は名湯だとわかっていたのかもしれませんね。(やませみさんが整理された「明治の鉱山リスト」記載)
こちらの、群馬県安中市にある、碓氷峠(うすいとうげ)の碓氷第三橋梁(通称めがね橋)は、昔鉄道が通っていた日本最大級のレンガ造りの橋です。
ここに使われたレンガも、渋沢が設立したレンガ製造会社の物を何万個も使ってできているそうです。国指定重要文化財にも指定されています。圧巻の迫力と歴史ある建造物なので、ロケ地に使われるかも!!
引用:wikipedia
また、富岡市にある富岡製糸場。明治5年に設立された日本で最初の本格的な機械製糸の工場です。
引用:四季の旅
明治3年(1870年)、渋沢栄一は官営富岡製糸場設置主任に任命され、伊藤博文とともに富岡製糸場の建設を推進していくことになります。
日本の近代化、絹産業の技術の改良、世界と日本との技術の交流にも大きく貢献した工場でした。明治5年に群馬県富岡に設立された日本で最初の官営製糸工場です。富岡製糸場の初代館長は渋沢栄一の10歳年上のいとこで尾高惇忠です。
富岡製糸場は2014年には、世界遺産に登録されています。
うーん絶対にロケ地になりそう!世界遺産は映像に出して欲しいですね〜
「青天を衝け」の原作とネタバレ
ここまでロケ地はご紹介してきましたが、そもそも「青天を衝け」の原作者は誰なの?どういう内容なの!?と思っている方もいると思うので、ここで少しご説明していきましょう。
そもそも原作小説はない!?
はい!そのとおりです!原作はなく、脚本家の大森美香さんのオリジナル脚本によって作成されています。大河ドラマ2010年代をみても、原作小説があったのは『西郷どん』だけみたいです。原作小説なしが大河ドラマのトレンドみたいですね。
ここからは、あらすじのネタバレになるので、「何も知らずにドラマを見たいー!」って方は、引き返すことをおすすめします。
あらすじとネタバレ
「官尊民卑なんてクソくらえ。百姓からの脱却を決意」
渋沢栄一は、藍玉づくり(あいだま:藍染の原料となる染料)と養蚕(ようさん:繭を取るために蚕を飼い育てること)を営む百姓の家に生まれました。
頭の回転が早く、大人や権力にも恐れないやんちゃな少年に育っていきました。商売の才能に長けた父・市郎右衛門の背中に学び、栄一は商売の面白さを覚えていきます。
しかし17歳の頃、御用金(幕府の財政を補うために臨時に納めるお金)を取り立てる代官に刃向かい、理不尽に罵倒されました。
このことが人生を変えるきっかけになり、栄一は、官尊民卑(かんそんみんぴ:政府や役人を尊敬し、民間人を低俗とする考え)が、はびこる幕府の身分制度に怒りを覚え「虐げられる百姓のままでは終われない。武士になる!」と立ち上がります。
渋沢栄一の人生は、順風満帆ではありませんでした。田舎の農民から、倒幕の志士を目指しますが、正反対の幕府に使える幕臣になります。ところが、幕府がつぶれると失業武士になり、33歳でようやく辞表を出して民間人になります。
そこから、実業家として波瀾の民間改革が始まっていきます!晩年は民間外交に力を注ぎ、ノーベル平和賞候補も2度選ばれ流ほどに。。。
ちょっと、本当に息つく暇もなく動いていらっしゃった、渋沢栄一。。。執筆している私が息が詰まってくる!(なんでだよ)聞いてるだけでも相当な熱量と行動力がないと難しいですよね!こんな方、現代に例えられる人っているのかな。。。
幕末から明治へ。時代の渦に翻弄され挫折を何度も繰り返しながら、青天をつくかのように強く高い志を持って、時代を切り開きました。信念を貫き、形が変わっても逆境に立ち向かう、渋沢栄一の生きざまが描かれている作品です。
『青天を衝け』
このタイトルは、渋沢栄一が、14歳1人で、藍玉を売るために険しい道のりを旅をしたとき、詠んだ漢詩の一節「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」。
「青天を突き刺す勢いでひじをまくって登り、白雲を突き抜ける気力で手につばして進む」という詠からつけたタイトルになっています。かっこいいですよね!青天を突き刺すなんて!
逆境に屈することなく立ち向かう『渋沢栄一』の人生そのものですね。
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