中国ドラマ「王女未央」に登場する李未央(りびおう)・馮心児(ふうしんじ)は北魏の文成帝の側室。文成文明皇后がモデルです。
中国の南北朝時代に唯一生き残った公主・馮心児が主人公。その家族と名前を奪われた亡国北涼の王女の愛と復讐の物語です。
目次
中国ドラマ王女未央のモデル文成文明皇后とは?
出典:ウィキペディア
父は秦州・雍州刺史馮朗(ふうろう)。母は王氏。馮太后(ふうたいごう)と呼ばれることが多い。
父の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族でした。
この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に亡命し重用されていました。
しかし馮朗は事件の巻き込まれて罪を問われ死刑になります。
親をなくし幼かった馮太后は北魏の太武帝の左昭儀(皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏を頼って後宮入りし、14歳の時、太武帝の孫で第5代皇帝である文成帝の貴人となりました。
文成帝の崩御後、跡を継いだ李貴人の息子献文帝が即位し、皇太后として補佐になりました。
しかし献文帝が成長するにつれて対立し、皇太后は献文帝を脅迫して息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させました。
献文帝も報復として皇太后が寵愛していた家臣李奕を殺害したため、献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握しました。
文成文明皇后は事実上の北魏の女帝として施策は孝文帝に受け継がれ、北魏は全盛期を迎えることになりました。
異常に権勢欲の強い女性であったと列伝に記録されています
晩年は寵愛する家臣だけを側においたそうです。
490年死亡 享年49歳
中国ドラマ王女未央の時代背景
時代背景については、前述のとおり、南北朝時代です。
南北朝時代とは、439年から589年までの約150年間です。
北魏が華北を統一した439年から隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指します。
北魏による華北の統一から隋(王朝)成立にいたるまでを北朝といい、建康に都をおいた短命で終わった政権の宋・斉・梁・陳を合わせて南朝といいます。
220年に後漢が滅んで三国の魏が成立してから、589年に隋が陳を滅ぼし中国を統一するにいたるまでの時代を総称して、魏晋南北朝時代と呼んでいます。
中国ドラマ王女未央の感想は?
口コミを調べてみました。
「王女未央」北魏の文成文明皇后がモデル。北涼唯一の公主(王女)が一族の敵を討とうと、北魏尚書の娘に成りすまし家に潜り込む所から始まる。この文成文明皇后、悲しみのあまり夫の遺体を火葬する際に火中に身投げ出すほどだったと言う。★★★★ #王女未央 #華ドラ pic.twitter.com/1gIgOjqr9E
— 禾刀舟 (@ToshuNogi) September 27, 2019
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https://twitter.com/yinghuamei2/status/1179154775557853184
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#王女未央 おわり♡
めっちゃくちゃオモロかった♡
かわいいしカッコいいし最高だったー(*´ω`*)♡
やけど最後良かったけどやっぱり悲しすぎるパターン(´•ω•̥`)
しかしおもしろすぎて一気見だった♡ pic.twitter.com/3aFF9ag4aP— まこるん (@makorun_106) August 25, 2019
中国では2016年動画再生回数230億回になったそうです!
中国ドラマ王女未央主題歌
主題歌はA-Linさんの歌う、『天若有情』!
動画はこちらからどうぞ!
ちなみにエンディング曲は、主演の二人がデュエットで歌う「天賦」です。
こちらからどうぞ!!
中国ドラマ王女未央!実在した北魏の文成文明皇后がモデルだった!まとめ
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王女未央のモデルとなった文成文明皇后を中心に時代背景等も取り上げました。
昨年放送されたのにも関わらず、すごい注目度です。
史実にのっとった話であるということにもびっくりです!